議論について
自分と違う価値観の人。
意見をぶつけ合わせるということ。
そこに感情を織り交ぜないということ。(最低限のマナーは守るということ)
私は私の意見を表現する。表現した方が良いことを知っているから。
私の意見というのは、当然私という人間の立場から見た意見ということだ。私という存在は世界に私しかいない。ということは、私の意見というのは、世界に一つしかない超貴重な意見ということだ。そんな貴重な意見を表現しないなんて、なんと勿体ないことだろう。
私と同様、世界の全ての人の意見は、世界に一つしかない超貴重な意見ということだ。
そんな貴重な意見を聴ける機会があるなんで、私はなんと幸せなのだろうか。大いに耳を傾けるべきである。
人の意見を聴かない人がいる。なんと勿体ないことだろう。自分の意見に固執することは、今後の広がりを感じられない。しかし『私は私の意見に固執する』という意見も、その人の貴重な意見だということも事実である。
入れる情報は選別できる。自分に入れたくない情報や意見は入れなくていい。
自分にとって心地よい情報だけを自分の中に入れれば良い。
偏った情報の中ばかりに居たら、その濃度は濃くなり、腐り、淀むだろう。
時には水を入れ替えて、新鮮な情報を入れてみるのも悪くない。
新鮮な情報とは、自分の価値観に合わない情報のことだ。
せっかく作り上げた自分が、また振り出しに戻るような感覚。
それと同時に、行きづまっていた将来への道がまた開くような感覚。
人生はいつでも何度でもやり直せると言われている。
要するに、議論はすべきである。